久しぶりに北海道の旅。
06.04
稚内空港着、食事せずまずは走り出す。
強風でなかなか辛い。天気予報では最高気温20度だったので長袖で走り出したのは正解だった。
メグマにちょっと寄ってから道道121号稚内幌延線南下、浜見峠をチェック、無住の家前に狐が寝転んでいたので停車したら
乳房に子をぶら下げた母狐立ち上がり威嚇してきたのでゴメンごめんと走り出し。その後3匹ほど遭遇。
強風で前に進めず苦行、丘陵地帯、大きくアップダウン続く、途中沼川集落でパン昼飯、ありがとうAコープ。
道道84号と合わさり登竜峠探索。次の熊越はトナカイ牧場を左折しゴミ処理場の脇を行き…ゲート。
幌延の町、ぐるぐる町中を走ってみて神社寄り、スーパー確認、食事は?と検索してあいづ食堂でカツを食べた。
スーパーで甘いものなど買って駅前の宿へ。仕事の方がたくさん宿泊している宿。
さっさと風呂入らせてもらって洗濯と。
06.05
7時出立。線路沿いを1時間ほど走ってから宿代払ってないなと気づき宿へ電話。入ったときも出たときも請求されなかったのだ。
一旦国道40号に入り佐久まで。
佐久から118号美深中川線、天幕峠あたりで役所の車に抜かれた。
安川あたりで警察と役所と集合して、警官が長い棒で遊んでいたので熊でも出たのか?と思いながら進行。
ここから共和にいたるアップダウンが地味に辛かった。
共和では学校すぎて診療所跡へ。
https://www.town.nakagawa.hokkaido.jp/section/sangyoushinkou/b02d3l0000000pdg.html
近くにいらした方に峠の入り口を教えていただき。
斎藤茂太の字による志文内峠標柱が立派。毎年草刈りしているということだが、私はまだ早かったようだ。
峠道に入るが楽ないかにも北海道という緩い斜度の道。谷沢部分では沼と化していてずっぽり。
自転車も泥で汚れ、これが最終日まで異音の原因となった。
道案内していただいた方に役所と警察のことを言ったらサクラマスの密漁があるからと。
そして私が峠を越えて南側の藪に突入していたら目の前に道警ヘリ。五月蠅いのなんの、音圧がすごく無思考になる。
行く先にピンクリボン見えるものの、そこまではまたしても沼状態だったので諦め戻り。安川側の入り口は未確認。
戻って国道40号、音威子府で昼飯と思い道の駅だが…やってない。向いの商店で弁当とアイス買って食べた。
あとはだらだら美深まで。あと〇〇kmと道路標識見るとかったるく感じても北海道だと信号停止がないのであっという間に着く。
駅前の猫だらけ宿に入り、雑用こなしてからラーメン屋へ。ものすごく〇〇だった。チェーン店ないような時代はこんな飲食店が多かったよなぁ、だから外食は気をつけろと
言われたよなぁと昔々のことを思い出し。
スーパーでアイスなど買い戻り。
北海道新聞、茂吉の峠道
https://www.youtube.com/watch?v=WGAMwBKiKJM
06.06
食事頂いてから出立。自転車の周囲にも猫猫猫猫猫猫猫猫。
まずは智恵文峠、畑の道を抜け旧道痕跡を少したどり砂利の急斜度を押してあがってゆくと上から自衛隊の四輪。
この山の向こうは名寄の基地。さらに上がってゆくと自衛隊員が一人立っていたので、行ってよいのか?と確認すると
まだ大丈夫ですと。
なにが大丈夫?と思いながら峠部分へ。峠周辺をうろうろ観察していたら風に乗って「レンジャー!」という声が上がってくる。
ははーん、レンジャー訓練していて今にこっちに来るのだなと待っていたら旗持った方先頭に銃を手に持ったまま走ってきた。
一人でなく集団だから大丈夫だろうけど山中でヒグマに遭遇しないのだろうか。
見送ってから国道40号に降り、和寒はいれば塩狩峠の看板がちらほら。
塩狩峠、一応記念館入ってから旧峠抜けた。
比布トンネルは脇の旧道へ。石灰山見上げて旭川市内。護国神社、駅前近くのロータリー交差点を観察し、上川神社参拝、空港へ。
この頃、腕の焼け具合がひどくなってきて虫眼鏡で光を集中させているかのように痛い。
空港着はちょうどよい時間。のんびり分解袋詰めして荷物預けと着替えと。
レストランでカツカレー食べてやっと一息。
(一つ。神社で黒装束の泥棒にやられた。帯広ではじめて被害にあって知っていたのに…
なぜか食品の被害はなくポケットティシューなどが持ち去られたのみだった。
皆さん、北海道ではバックの蓋閉めてあっても隙間から盗まれますのでバックはいちいち外して持ち歩きましょう。カァ)
浜見峠(約10m、稚内市声問)
国土地理院点の記でここの三角点(廃)の名称が浜見峠。大正地形図にもこの道はあり三角点もあるので、ここを浜見峠でかまわないかと。
一応最北の峠としておく。三角点名称が実際にそこの地名ではないことがあるのは承知。
登竜峠(約80m、天塩郡豊富町〜幌延町)
現在の車道は日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道の為に開削された道で、元の車道は東側。
峠の北側痕跡は見いだせなかったが、南側は北進3号線として途中まで残っている。
峠部分へは地籍調査が入ったのか借り払いされた尾根を行けば到達できるのかもしれなかったが、夕刻で獣が怖かったのでやめた。
熊越峠(約90m、天塩郡幌延町北進〜上幌延)
ゴミ処分場の脇を入っていけば峠に続くであろう道でゲートがある。ここも夕刻であるのでやめた。
航空写真と地図からして峠までは行けるのではないかと思う。
天幕峠(約40m、中川郡中川町安川)
テント峠、佐久から南下する道は以前は川沿いだったのでこの峠は現車道ができてからの峠だろう。
テンマクかと思っていたら隣にある橋の名がtento bri.だったので、テントトウゲと判明。
志文内峠(約172m、中川郡中川町共和)
斎藤茂吉で有名。学校の脇を入ってゆくと立派な標柱がたっている。毎年刈り払いするそうだが私は早かったようだ。
峠までは特段なんでもなし、小さな沢を越すときに泥に足突っ込むこと数度で到達。
峠から北側は獣の足跡追っても道筋は見いだせなかった。それより道警のヘリコプターに接近され轟音で頭が痛くなってきて
いろいろ考えるのめんどくさくなり退却した。行く先にはピンクリボンが点々とあったのでやはり地籍調査か入ったのだろう。
智恵文峠(約180m、名寄市智恵文〜内淵)
名寄陸上自衛隊駐屯地内の峠で、北側はポツポツ痕跡がある。南側は自衛隊門まででその先はあっても辿れない。
大正に現国道が通るまでは峠に茶屋があったそうだ。
塩狩峠(約270m、上川郡和寒町〜比布町)
舗装傷んでおらず、被さってきている樹木を刈ればそのまま現用できるだろう路面だった。