2010.08.31 船橋〜上総一ノ宮

ぽっと時間が出来たので、久しぶりにVITUS979にて。峠は無いけど、峠とお社探索。主に「鹿」

VITUS979(F-bag)


狛犬、社(千葉)


七里駅0533船橋行に乗る、猛烈な湿気の朝で気分悪い、柏あたりから眠くなってきて、船橋到着でピーク。
朦朧としながら自転車組んですぐに松屋で朝食。

船橋大神宮は時間はやすぎて掃除最中に無理を言い朱印いただく。
出勤時間でごったがえしているのと、暑くて更に朦朧としてたものだから日本一小さい東照宮を見るのを忘れてた…

成田街道分岐


御成街道アップダウン街道はこんなアップダウンが細かくあったりして。
「鹿放ヶ丘」には神社を訪問した。「しかはなしがおか」なんて素敵な名前だこと。 「ろっぽうがおか」と読み、以下、四街道市に問い合わせて回答いただいた物をコピペ

四街道市は戦前、陸軍野戦砲兵学校や陸軍野戦重砲兵第18連隊、陸軍下志津飛行学校があり、現市内のほぼ北西部全域(下志津原・六方野)が陸軍の演習場になっていました。 戦後、旧演習場は食糧難を克服するため開拓地となり、復員軍人や引揚者、戦災者が入植しましたが、荒れた旧演習場の開拓は困難を極めたため、現茨木県水戸市内原の満蒙開拓青少年義勇軍基幹学校の15から17歳の百数十名の生徒が援農のため入植し、やがて成人すると正式に開拓者として現鹿放ヶ丘地区に生活するようになり、現在にいたっています。 「鹿放ヶ丘」の地名のいわれは、昭和22年6月にこの開拓地区の名称を決めるにあたり、この地域が「六方野」と呼ばれていたこと、また六方野から小金原(現松戸市)にかけて徳川将軍家の御鹿狩りが行われていたことにちなみ、「鹿放」とし、この地区の中心地にあった「大日権現岡(大日山)」の「岡」から囲みのない「丘」を採用して「鹿放ヶ丘」と命名されたものです。
四街道市教育委員会社会教育課 市史編さん室

鹿放ヶ丘神社


街道途切れた地域にある標識

千葉特有の「峠」は一箇所、大峠(オオビョウ)はタイミングよく地元の方がいたので良かったが、仲峠(なかっびょ)はだいたいの場所を教えていただくが判断できなかった。


東金の雄蛇ヶ池周辺にいくつかある「鹿渡神社」の狛鹿

鹿渡神社社は「寺」の様式だった。


二ノ宮橘樹神社は書置き朱印いただく、

玉前神社修繕中 一ノ宮玉前神社玉前神社ブログ朱印書いていただいた。社殿修繕中で見られず残念。



vitus979は、あたりまえにフロントがふらふら。26cのPanaracerTOURERを使ったがこれは正解。ブレーキアーチがMODOROなので まるで効かずに恐ろしかった。


2010.09.23