2009.05.18-20 気仙沼から侍浜

前回の続き、気仙沼から三陸の浜街道を北上する。

T-1000(F-bag,side-bag)、 狛犬・社(岩手


2009年5月18日

飯森峠道
前夜仙台入り、始発新幹線で一ノ関、気仙沼駅着、青空、暴風雨、 まっすぐ走るのが困難な程で列車も止まったようだった。
「夜這路峠」入り口確認、「綱木坂」入り口確認、「飯森峠」越える 矢作町「天照御祖神社」土鈴頂いた、陸前高田「冰上神社」御朱印とお話いただく、
「通岡峠」越える、大船渡「新山神社」発見できず、盛「天照御祖神社」御朱印いただく、
「生江峠」登り、「釣魚峠」越える、 とあることで時間が過ぎ去り、釜石まで残りどこをやるか考え、日暮れてゆく中「石塚峠」を越える、 峠まで1時間かかった。 釜石泊


5月19日

緑に染まる辺津ヶ沢
「鳥ヶ沢峠」のトンネル抜ける、「両石坂」の入り口確認、「恋ノ峠」越える、
「古廟坂」地元の方に無理だと言われながら進入口を教えていただき越えるが石塚峠より困難だった、
「小鎚神社」で御朱印いただく、桃源郷のような辺津ヶ沢入り「辺津ヶ沢峠」 今回最高な斜度残り150mはキャンピング車を引き上げられず分解して運んだ。
、東北電巡視路で小尾根のっこし林道に、鯨山神社の鳥居、四十八坂、 山田町「山田八幡宮」参拝したが御朱印は「なにそれ?」、「窓坂」登る、豊間根、石峠部落、 一里塚、地元の方にお話いただく、「駒峠」乗り越し津軽石、「馬越峠」入り口確認、
「八木坂峠」乗り越し、宮古「横山八幡宮」御朱印いただく犬かわいい、YH泊


5月20日

太平洋戦後の開拓酪農地域
45号のみと決める、「塚の峠」、ボンネットトラック多数と行き交う、茂志稲荷神社、槙木沢大橋恐ろしい、
周辺は太平洋戦争後に開拓された酪農地帯、 「閉伊坂峠」45号最高地点、普代「白井峠」
野田の玉川カラス鳴くなり、十府ヶ浦は重機だらけ 「綿津海神社」、「野田峠」
久慈、琥珀博物館にいってみた、帰ってきて久慈の神社 久慈「大神宮」宮司不在、幟たくさんの「愛宕神社、白龍明神」、「巽山稲荷神社」御朱印いただく、 駅にゆくと3分後に出て次が2時間後、北に進むことにして、国道395号、無人の侍浜駅に、
ホームで分解着替えて1時間待ち。八戸からはやて30号グリーンで大宮帰郷。大宮駅ではいつものように酔っ払いに絡まれた。



飯森峠

飯森峠の堂
夜這路峠、綱木坂などを見送り、鉄道とからみながら高度を上げてゆく。北側はあっという間に終わる。


通岡峠

通岡峠
明治39年に末崎村凶作救済事業で改修され使える道になり、昭和38年に大改修し県営有料道路、昭和48年無料開放し国道45号編入。


生江峠

途中の崩壊しそうな橋
養鶏場を過ぎ、崩れているコンクリ橋をいくつか渡り登ってゆくと程なく着く。


釣魚峠

峠から東側
生江峠からお風呂に行けば案内図あり。しかし入り口はわかりにくいので、適当に突っ込むと旧道がある。


石塚峠

石塚峠
七里塚への道標がある。塚から峠まではキャンピング装備で30分。峠から下って20分程で堤防。採掘場が見渡せるが 本来の道は採掘場方面ではなく左側へ進み行き公園に出る。 今回は夕暮れて藪は御免なので採石場に降りてゲートを越えた。


鳥ヶ沢峠

今回はトンネルで抜けた、峠には電線が乗り越しているので行くのは問題ないだろう。
大正13年にトンネルが抜けるまでは釜石と大鎚を結ぶ街道の峠。昭和44年に鳥谷坂トンネル開通により主要道から外れた。

両石坂

祠
両石坂の入り口にある祠


恋ノ峠


名称由来は、大津波の時に波がここを越えたとかの説がある。恋ではなく越。
浜街道→釜石製鉄所栗橋分工場銑鉄輸送路→郡道→県道→2級国道→国道45号線


古廟坂

開削されたのがわかりますね
国道から線路渡りすぐ左に入り口の標柱あり。道路のつまりから線路を渡り(本数少ないですが、危険極まりないです) 畑の脇を通り電柱を見ながら道跡を登ってゆく。電柱道と同じこともあれば、別に道があることもあるので惑わされぬよう。 途中に山神が祀られている。峠部分は深く開削されている。鞭牛和尚によるものと謂われている。
北側は植生薄く道もしっかり(これは他の峠でも)しているので問題なく下れるが、国道の気配を感じる頃に道は消える。 沢を渡りゆくと踏み跡があり、看板の残骸と思われる足場パイプで組んだ工作物の裏をゆくと国道に降り立つ。
永享の乱で南部守行が大鎚攻略の際にこの峠で亡くなったのを祀ったことにちなむという話がある。時代によっては聞く坂、菊坂とも呼ばれた。


辺津ヶ沢峠(へづがさわ)

山神辺津ヶ沢峠

(旧浜街道複数ある山越えルートのうちの一つ) 辺津ヶ沢をゆく、途中までは人家がぽつんぽつんとあり、緑の光溢れる桃源郷のような感じを受ける。 林道が尽き、20分程で山神、そこから1時間で峠。 峠へは東北電力の道があるので、それを利用すれば容易く行けるが、今回は地形図の破線路をたどったので峠手前200m 程は急傾斜で苦闘した。自転車を分解し3度往復で担ぎ上げた。 峠からは鯨峠方面に行くのが簡単で、巡視路で小尾根乗り越えれば目の前に鯨峠への道が出てくるが今回はめげて行かず。 地形図にある破線路は見つけようともしなかったので、わからず。


四十八坂

四十八坂バス停
昔は山腹を行っていたので細かく上がり下がりしていたことから四十八坂。昭和4年に県道になり、国道45号線時に直線的な道に作られた。


窓坂

窓坂
南側は住宅地開発により区画整理がありわかりにくかった。小さな鳥居と複数の石塔が入り口、途中一里塚、鳥居に道祖神。 北にまっすぐゆくのが本来のルートだが現在は東に曲がりゆく。


山田町石峠部落

石至下 古跡
地図を見ていて「石峠」という峠道があるのかと思い、山田町に問い合わせた。 しかしそういう峠道は無く、浜街道は「荷竹峠」であるとの回答。石峠部落の由来を教えていただいた。
部落入りまずは、石塔群、すぐ先に「石至下 古跡」という小さな石、そして一里塚 そのまましばらく林道続き歩道となるが今回はここまでで引き返した。地図によると乗り越した先は各種施設があるよう。 なので抜けることは出来るだろう。
地元の婆様から話を聞いたが、若い頃は荷物背負って向こうの津軽石に散々通ったものだと、しかし道の名前はきいたことが 無いということだったので、特に呼称は無かったようだ。(歴史の道調査報告書には”石峠坂”という表記もあるが)

地名は、永禄年間に人馬の襲撃に備え峠に石垣を築いたことに基づくという説がある。(豊間根文書)明治までは峠の上り口に茶屋があり、 羽々下には宿坊などもあったようで街道としての設備が整っていた。明治の末に馬車が使用されるに当たり、津軽石との交通は緩やかな駒峠 を使用するようになり、大正14年には宮古と山田の間に客馬車が運行された。(角川地名辞典より)


駒峠

駒峠
石峠に関して調べていた時に見つけた。山田町では「荷竹峠」と言っていたが、地元の婆様からは「こまとうげ」と 言われ、歴史の道調査報告書「浜街道」でも「駒峠」となっているので、駒峠を取る。


馬越峠
地形図に破線有り、南側の入り口もよくわかるが、現在電話中継所が途中に出来ており、旧峠道とは関係なく車道が出来ている。


八木坂峠

八木坂峠
鉄道を見下ろす、その向こうには三陸自動車道?がつくられている。


塚の峠

つかの峠
現道の脇に旧車道が砂利道となって残る。


閉伊坂峠

閉伊坂峠
国道45号線最高地点。現地には海抜380mとあるが、GPSでの標高は440mであった。


白井峠


緩い坂を上っていたら、ふと右から呼ばれたので右を向くと「白井峠」と書かれた施設があった。ここが峠であるのか、それとも峠の近くにあるから 白井峠を施設名称に入れたのかは未確認。


野田峠

20日12:30頃通

侍浜駅

70年
無人の侍浜駅、以前はすれ違いできる駅だったのか、今では使われてないホームでは地元の方が農作業の合い間に腰下ろしていた。
立派な開業70年記念資料館があるのだが、生憎入ることはできないようで残念。


次回は石川〜福井〜岐阜国道157号線周辺のパスハンしながら南下予定…のつもりの予定。

2009.05.25-06.05