高校生の夏


1986年三国峠新潟側


吉田のカレッジレザスにVIVAキャンピングキャリア、吉田のスコーピオンサイドバッグ、大宮のさいとうで買った犬印フロントバッグ。

大宮から北上し月夜野で野宿、三国峠を越えて枝折峠へ、灼熱と砂利道、バイク乗りの方いわくあと3km位で峠だと いう場所でダウン。
踏み込むとリアメカ(suntour LE TECH)が親切にトップギアに変速してくれる良くできた自転車だった。
"最近"の90年代以降しか知らないサイクリストには信じられないだろうが、坂道を登っていると変速機が自動的に重くしてくれたものです。 もっと酷いと、プーリーケージが挫けてくれて走行不能になったり。上り坂で変速できる素晴らしい現代!

湯之谷の公園でテント、近所の方からとうもろこしを頂く。(どこだっけと調べる、魚沼市井口新田の児童公園だ!)
挫けたので次の日は大宮まで220km程。

ポリタンクに入れた水とつくっておいたオニギリ2個で最終日走行、三国峠に到達したときはあとは下るだけと思ったが、
きつかったのは高崎あたりで夕陽を浴びたとき。身体の右側がジリジリ焼けていくのがわかり痛くまいった。

上尾に入り、「みさかサイクル」をみつけた。

たいした距離もなにも走らなかったけど、これと犬吠崎往復が未だに思い出深いツーリング。

犬吠往復は、地図事前に読まず持たずいきなり思いついて2月の夜中に出立。
自分が吐く息でまつ毛眉毛前髪が凍り、 成田では検問(まだあったのでした)で「大宮?埼玉県に大宮市なんかないぞ!警官をバカにするのか!」
と理不尽な事言われて警察バスに連れ込まれ、犬吠崎では人ごみが嫌なので誰も居ない崖に腰掛けてオニギリ3個食べ。140km程かな。

帰りは16号線に出ればいいだろうと千葉市に出てからえんえん16号線を走って21時に帰宅。
150km程?モノレールを覚えてます。日帰りでは最高距離往復330km程、阿呆ですね。

当時お金なんて無いので、コレクトコールできるように10円玉と1回分の飲み物代100円、
あとは出る前につくっておいたオニギリだけで走りまわっていたのでした。奥武蔵も当然走りまわっていましたが、峠越えが 好きになるのはもっと後、大人になってからの事。


山岳サイクリング、というものを知りショックを受けたのが天目山林道遭難事件。
それまでも雑誌には峠越えの記事は普通にあり、砂利道も担ぎも当然に描かれていました。しかしどの程度のものなのかは自分がさほど経験しておらず未知であり。そこに埼玉の林道で遭難という事件が発生し、サイクルスポーツ誌に記事としてたしか3回程度掲載されたのでした。

TYHCGメンバー一人が天目山林道を上り、県境超え東京側への峰越えを計画し林道を走ったものの、現在位置同定しないまま終端までゆき、そこを県境の山と判断したのか急斜面滑落したということでした。 所持していた「自動車用コンパス」が問題だったのではという一文を覚えています。
天目山林道の終端は東京を向いていません。

この事件で山岳サイクリング研究会が捜索に加わった云々と。なに?「山岳サイクリング研究会」?それからしばらくして、とある埼玉大の学生がサイクルスポーツ紙上で山岳サイクリングに関して喧嘩しているのを見て山岳サイクリングとはなんぞやというイメージが出来たのでした。


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2009.11.27-2017.05