「矢通反」

矢通反隧道

始めは切り通しの峠として道ができた。日の当たりにくい山の北の日野(表日野)の家が南側(裏日野)に畑をもち、そこに行くための道である。

昭和十五年に着工するが、 途中当時の三千円という金額がたりなく、内部で東に屈曲し、傾斜も途中でかわる隧道に なってしまったということだ。昭和十六年に完成。しかし、自動車が通行できず、旧道である「矢通反」の切り通しを開削し、車道の工事が進められていた。旧道が復活した 珍しい例である。



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